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J39が愛され続ける理由〈前編〉

Publish :
2024.03.29
Category :
ブログスタッフブログインテリア

こんにちは、アイトリブの藤原です。

アイトフースの住まいづくりでは住宅という建築だけではなく、北欧家具や照明、ラグなどのインテリアまでご提案ができるよう自社でさまざまなアイテムの取り扱いを行っています。一般的なインテリアショップのようにたくさん見ることができる!というわけではありませんが、暮らしに彩りをあたえてくれる普遍性ある道具を厳選し、家と同じようにいつでも体感いただけるよう各モデルハウスで展示しています。

今日は、その中でも特にご紹介したい椅子「J39」にフォーカスしてブログを書きたいと思います。(書いているうちに長くなってしまったので前編と後編に分けています…お時間のあるときにどちらもお読みいただけると嬉しいです)

J39といえば、別名「People’s Chair(人々の椅子)」として本国デンマークで最も親しまれている椅子。ボーエ・モーエンセンが1947年にデザインをして75年以上が経ちますが、今も途切れることなく作り続けられています。

なぜJ39は多くの人々に愛され続けているのか。前編ではモーエンセンの人柄や時代背景にも触れながら、心つかむデザインを紐解いていきます。

目次

実直に取り組み続けたボーエ・モーエンセン

J39の生みの親であるボーエ・モーエンセンは、デンマークのモダンデザインを牽引したデザイナーの一人です。生涯にわたり、人々の生活を豊かにする機能的で高品質な家具を作り続けました。

▴ コペンハーゲン郊外に建てられたモーエンセンの自邸兼スタジオ

モーエンセンは“デンマークデザインの父”と称されるコーア・クリントに師事し、人間工学を意識したデザインを心がけていました。家具をデザインする際にはあらゆる服や日用品のサイズを測り、緻密に計算しながら機能性を極めた設計を行う。そして、自宅を「実験室」と呼び、試作品の家具を持ち込んでは自らその使い心地を確かめていたといいます。

「家具は人々が肩肘はらずに暮らせるよう、控えめな佇まいであるべき」という信念のもとデザインされた家具は、シンプルで飾らない美しさがあります。J39はまさに、モーエンセンの信念を象徴する椅子です。

J39が生まれた時代背景

モーエンセンがFDBモブラー*でチーフデザイナーを務めていた頃に生まれたJ39(1947年)。FDBモブラーは「丈夫で、美しく、機能的、そして手軽な価格」という開発条件を掲げ、家具から国民を豊かにすることを目指していました。

*FDB(デンマークの生活協同組合)の家具部門

J39がデザインされた当時は戦後で、仕事や物資不足が続いていました。仕事を求めて地方からコペンハーゲンに人々が集まった結果、街中のアパートはどんどん狭くなり、家賃も上がっていきました。

FDBモブラーは、限られた資源を使いたくさんの人たちが狭いところでも快適に座ることができ、誰もが手に取りやすい価格で椅子をデザインしてほしいとモーエンセンに依頼します。

椅子は4つのパーツでつくる

依頼を受け、電車に乗って家具づくりが行われる工場へと向かったモーエンセン。そこはスコップや手帚の柄、曲木を作るのが得意な工場でした。モーエンセンはその特性を活かしながら、当時研究していたシェーカー教の家具*のエッセンスをかけ合わせて生まれたのがJ39です。

*18~19世紀頃アメリカ北東部で活動していたシェーカー教徒の暮らしから生まれた家具。空間を無駄なく使うための簡素で実用的なデザインが特徴。

インテリアや建築の中にそっと溶け込む控えめでシンプルなデザインを心がけていたモーエンセンは、椅子は4つのパーツでつくることを意識していたそう。J39も、座面を除き4つの木材部品でつくられています。
真っすぐな前脚と後脚はスコップの柄、その脚をつなぐ貫は手帚の柄。背もたれは、得意な曲木を活かして上から下に少し絞られたような形状になっています。そして4つめのパーツが、ペーパーコードに隠れている座枠です。

要素を少なくすることで工程を単純化し、直線的なラインを活かすことで加工の手間を省きコストカットを図り、一般の人たちでも手にできる価格帯の椅子に。そして座面には当時シーグラス(乾燥させた海藻)を用いていましたが、ペーパーコードを採用することで人々に張り仕事として雇用を生み出しました。

後編〉へ続きます…

参照元

スカンジナビアン・リビング ホームページ
FDBモブラーJPオフィシャルウェブサイト